読書感想文

時は来た。それだけだ。

エッセンシャル思考

ここ数年、新卒社会人向けに推薦されているのを良く見ていた。一応は目を通しておこう、という心づもりで読み始めてみた。

エッセンシャル思考とは

ざっくり説明すると、何かをするなら本質を見極めるべき。物事の大半は不要/無駄なことなので切り捨てよう。余裕を持った生き方をしよう。というものだった。

確かにこの考え方は非常に重要で、自分がここ数年取り組んできたことはまさにこの通りだった。当時、忙殺とはいかないまでも、される要素としては揃っていた状態で、何かきっかけがあれば全て崩壊してしまうような状況に陥っていた。そこで行ったことこそがエッセンシャル思考に書いてあるような内容で、1日の時間の使い方を見直し、本質を見極めて断るべきものには断りをいれて、時間を確保していくことができた。

若手には「毒」になりかねない

このような考え方は自分のように社会人経験がある程度あり、管理職などで自由な時間がどんどん減ってしまっている人間こそがするべきで、これから社会に出ようという立場の人間は忘れたほうが良いものだ。若手は、まさにイーロン・マスクTwitter社で取り組んでいるようなハードコアな働き方をすべきなのだが、エッセンシャル思考の生き方をしてしまうと大きな損失になるだろう。

近年、労働環境の改善ということが声高に叫ばれるようになった。代わりに聞こえるようになったのはギラギラした若手が減ったという声だ。これは遥か昔から言われ続けている「老人の若者に対する苦言」ではなく、しっかりとした理由がある。

スポーツの世界では、練習手法は置いといて、長い時間練習をし続けた者が成功するのが当然とされている。一方、オフィスワークではどうか。能力を上げたいから多くの仕事をしたいと望んでいる若者は、会社の方針で仕事をするなと言われてしまっている。このような状況下で、更にエッセンシャル思考のような働き方を身に着けてしまうと成長スピードが著しく落ちてしまう。

読むタイミングは慎重に判断すべし

とにかく、この本に手を出すのはタイミングが重要だ。P20に記載があり、抜粋する。

エスと言うことに慣れすぎて、思考停止していないだろうか?また、忙しすぎてすり減っていると感じることはないだろうか。働きすぎなのに成果が出なかったり、どうでもいい作業に追われて仕事ができないと感じたことはないだろうか。常に走り続けているのにどこにもたどり着けないような気がしないだろうか?ひとつでも思い当たることがあるなら、エッセンシャル思考を試してみたほうがいい。

ひとつでもいいが、全部当てはまっているタイミングこそが、この本を読む時だ。そして、エッセンシャル思考を試したほうが良いだろう。

周りを見て、このような状況に完全に当てはまっている人を見かけたら、この本をそっと渡してあげよう。

 

 

クリティカルチェーン

読むまでまったく知らなかったが、エリヤフ ゴールドラットという方がいて、彼が生み出したTheory of Constraints (TOC) という理論があり、それを小説仕立てにして説明しながら新たにクリティカルチェーンというものが何なのかというところまでたどり着かせるのが本書だった。

そもそもこの TOC について書いたビジネス小説が4作目だったらしく、読み物としてはともかくこの本を最初に読むべきではなかったらしい。

後半はスピード感もあって次へ次へと読んでいったが、物語としては50点程度の内容で、面白いかと言われたらうーんというもの。

実用書として読み始めてしまったのが悪かった。これは自分が読みたい本ではなかった。失敗。

 

 

 

岩田さん - 岩田聡はこんなことを話していた。 -

任天堂の社長を務めていた岩田聡さんが亡くなられて7年が経った。もうそんなに経つものなのか。随分と昔の事のように感じてしまう。検索して Wikipedia を見ていたらまた時間が経ってしまった。本当に惜しい人を亡くしたものだとつくづく思う。

そんな岩田さんが過去話したインタビュー等などをまとめた1冊で、ゲーム業界に携わる人はもちろん、そうでない人も一度は読むべきだと感じた。

1on1(面談) の重要性

多くの会社や組織で起こっていることだとは思うが、トップの考えている事が上手く伝わらずに「なぜこんな判断を?」とモヤモヤすることがある。このモヤモヤするところの本質は情報が足りないから判断できない。つまり情報を与えれば判断できる。物事の決定についての背景にあるものを情報として伝え、この状況下だとあなたはどう判断する?と問いかけ、同じ判断となれば同じ方向に向かう。会社/組織において「全員が同じ方向に向かっている」ということに大きな価値があることは言うまでもない。これをHAL研任天堂の社長時代にやっていたそうで、HAL研はともかく任天堂の社長時代にやるのは非常に骨が折れたと思う。ここはサボってはいけないということだろう。

得意な事とは

やりたい事ではなく、かけた労力に対して成果が大きいことこそが得意な事である。これは岩田さんではないが私が勤めていた会社の社長にも言われたことで、「やりたくない、得意じゃないと思ってるのに頼まれる仕事こそがお前の得意な事だよ」ということだった。本質的にまったく同じことを岩田さんが言っていて、私の場合はそういった仕事(=やりたくない仕事)を大量に頼まれて、しかしながら処理する能力は人と比べて随分早かったので更に頼まれたことがあった。それによって評価も上がり、給与も上がっていったので文句は無かったが、「得意じゃないし好きじゃない事ばっかりやってたら周りは評価してくれるなぁ」と思ったものだ。それはそれで嬉しかったので、これこそが自分が真に得意な事なんだろうと後から思ったものだ。

ご褒美を見つけられる能力

ゲーム開発で中心となる報酬についての話で、「なぜかやってしまうゲーム」がどういう理屈なのかが語られていた。かけた労力よりも得られる報酬が大きいものはついついやってしまうという話で、これは「シリーズもののゲームをずっとやってしまう」に通じるものがある。私はモンスターハンターシリーズをよくプレイしていたが、初代から基本的なゲーム設計が何も変わっていないので、一度やり込んでしまえばその後のシリーズは少ない労力で大きい報酬が得られる。ついついやってしまう、ということの説明がつく。これがゲーム以外の全てに言えることで、英語学習が長く続く人とそうでない人の違いにも通じる。≒「得意な事」なことだとも思うが、それに気づいてないということは報酬を報酬として理解していないのだろう。難しい話だ。

名は体を表す

岩田さんは名前をつけるのが得意だったと、宮本茂氏が語っている。組織の名前、会議体の名前。名前さえ上手につければ、あとは勝手に動いていく。これは元々糸井重里氏が得意だった(コピーライターなのだから、それはそうだ)とのことだが、まさに名は体を表すということを地で行っている。今私が所属している部署はかつてよくわからないアルファベットを羅列したチーム(活動内容を英訳したものの頭文字だったらしい)だった。そのせいか本来やるべきではない仕事を押し付けられることが多く、対外的にも社内的にもよくわからないということでしっかり機能を表す名前に変えた。その後は活動内容と組織名が一致することで社内の理解も得られるようになった気がする。逆パターンで目立つのは「妙な会議名」だ。一見して「これ何の会議?」と思ってしまうものは、会議が変な方向へ行ってしまうことが多い。潜在的に、会議がおかしな方向に向かってしまった時の歯止めになるんだろうと思う。「なんとなく」で決めたネーミングにろくなことはない。

 

最後に、宮本茂氏が「岩田さんが本を読み始めたタイミング」を語っていた。経営者になったタイミングだそうで、ビジネス書を大量に読み始めたそうだ。新しいことの発見ではなく、自分が今まで思ったこと、考えたこと、経験したことの裏打ちになる本を探していたそうだ。これは今自分が行っていることにも通じていて、まさに「裏打ち」となった。

最近、誰かと話す時に常々言っているのは、「キャリアとしてアウトプットが一段落したら本を読むと良い」ということで、ゲームが好きな若い人に対してはこのようにも話している。「攻略が行き詰まったら動画見るよね。動画見たら、自分がやったことが正しいかどうかとか、何が間違っているのかも見えてくるよね。でも、まったくやったことないゲームの動画見ても何も分からないじゃん。だから本を読むのもタイミングによって意味が随分変わってくるよ。」という話で、我ながら随分良い例え話をしたなと思う。

これは特に部長以上の役職についている人間はやるべきことで、自分が読んで感銘を受けた本を部下に推薦して読んでもらうことで意識の統一も図れる。この人はこういう事を考えてたのか、と納得してくれることで自律的に動いてくれることもあるだろう。マネジメントが苦手だと感じてる人は、自分が良いと思った本を「業務中で良いから読んでくれ」と渡すだけでも上手くいくんじゃないだろうか。

 

本当に良い本で、随分久しぶりに1日で1冊を読み終えてしまった。眠くなることもなかった。元同僚に、「生前、岩田さんと話したことがあって。本当に素敵な時間で、今でもとても大事な経験になってるんです」と語られたことを思い出した。羨ましい限りだ…。

 

 

UNIX という考え方

今やエンジニアでなくとも UNIX というものを触っていることが多いと思う。 AndroidmacOS の源流にあるのは UNIX だからだ。その UNIX がどういう思想のもとで使われているのかというのをハッカーの1人が書いた。

読みながらも、既に体に染み付いている内容が殆どだった。自分は触り始めたのは Windows 95 が最初ではあったが、本格的にコンピュータと向き合ったのは Debian GNU/Linux で、ここで UNIX の世界に初めて触れたのであった。そこで教えられた事がこの本には書いてある。初心に戻るのは良いことだし、内容も極めて重要だ。とはいえ新しい発見もあった。

人間は三つのシステムしか作れない

一つ、少数によって正しくはないが高性能で人々を刺激するシステム

二つ、一つ目を活用した大規模で人々を満足させるが遅いシステム

三つ、二つ目で痛い目を見た人々が作る最良のシステム

 

これは身に覚えがある。私が仕事をし始めたのはデジタルな世界で起こる変革期の何回目かだったとは思うが、この三段階のシステムを嫌というほど見てきた。

付け加えるならば、一つ目のシステムは非常に安価だ。安価ゆえに売上も拡大していくのだが、やがて二つ目のような状態になってくる。

ここで経営が立ち行かなくなることが多く、料金を上げながらも機能を増やし、遅くなっていく。(2022年に起こっているイーロン・マスクTwitter買収はこれに起因するものだと思う)

最後にはこれを反省して三つ目のシステムが出来上がり、世の中のデファクトになる。

 

この流れは今で言う DX にも通じるもので、人間は素晴らしいシステムに触れると「あれも、これも」とアイデアが生まれていく。素晴らしいアイデアもあれば、良くないものも当然ある。良くないものまで取り入れてしまうと二つ目のシステムになってしまうから、ここをどれだけストップさせて三つ目にいくかというのが重要だ。

 

本の前半部分で上記の内容が終わってしまったので、後半は随分と眠くなってしまった。ただ、リーダブルコードと同様に新米エンジニアにはぜひ一度読んでほしい本だと思う。

 

 

これから「正義」の話をしよう

タイトルだけは知っており、何の本なのかは分からないがベストセラーだ…ということで手に取った。正義とは何か?正しいこととは?という問に対して、哲学者(ベンサム、カント、ロールズアリストテレス)の論に触れつつ、考えていくもの。当然答えは出ない。全体的に内容が難解であり、理解が出来たとは到底言えないが、考えるきっかけになった。

功利主義

ベンサムによれば正しい行いとは「効用」を最大化するものであり、効用とは快楽や幸福を生むすべてのものであり、苦痛や苦難を防ぐすべてのものである。誰か一人が多大なる重荷を背負うことで、他の全てが幸せになることで効用が最大になることも考えられる。これについては当然「個人の権利」は蔑ろにされてしまう。そして、人の価値観によって効用の最大化という捉え方も変わってくる(快楽の単一化になってしまう)ということから、功利主義は現代では受け入れられづらいものだろうということだった。

リバタリアニズム自由至上主義

根底にあるのは自身の所有権は自身にあるという考え方だ。これにより、課税は不当なものであり、分配は以ての外であるということになる。つまりリバタリアンの中では最小国家こそが正しい国家である。腎臓を売る、代理出産卵子移植をしない純粋な代理出産)をするなど、殆どの現代国家が法的に認めてないことを支持する考え方になる。

こう書いてしまいたくないが、10代~20代前半の考え方はこれに近い気がしている。社会に属するものとしての考えが希薄(極端だが飲み会に参加しないなど)というものの根底に、「自分の所有権は自分にある」という考えが強くあるように感じる。彼らに、「じゃあ課税はしないし、腎臓も売るのですね」と言えば、それは道徳的に反するということとなる(カント)し、コミュニティ的にも反する(マッキンタイア)のである。振り切ってはないが、危険な徴候であるのではないかと考えた。

イマヌエル・カント

カントの哲学は非常に難解である、という振り出しであったが、確かにその通りだった。人間には理性があり、理性で動いている時こそが人間であるというもので、その理性とは道徳に基づいている。(と、理解した。)

義務の動機だけが行動に道徳的な価値を与える。思いやりからなされた善行は道徳的な価値に欠ける。これらは原理的に定言命法として触れられている。

「あなたの意志の格律が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ」

簡単に例を示せば、衰弱している母親が兄弟の近況を教えてくれと懇願した際に、数日前にその兄弟が死んだことを伝えるかどうかだ。思いやりで嘘をつけばそれは母親を理性的な存在として尊敬していないので間違っているということになる。

これら全ては自律した行動であるべきであり、他律の要素が入ってしまうとそれは義務の動機にはならない。他律=外的要因となり、前述の母親の件は「母親はそう言われた時どう感じるか」という思考が入っており、義務の動機とは外れる。

ロールズによる平等の擁護

ロールズによれば無知のベールを被った状態こそ正しい判断ができるとする。無知のベールとは立場や人種、現在おかれた状況など全てを知らない、全員が完全に平等となる状態である。これはカントが述べた事に共通しており、「他律要素は排除すべき」ということになる。また、実力主義においても現在の立場を得たのは自分の努力が全てというわけでないということも述べており、功利主義自由至上主義を排除している。

特にこの点については納得感があり、確かに実力主義とはいえ自らのキャリアについて再現性があるとは到底言い難い。一流大学の一般試験で合格し、かつ大手企業に入社して多額の報酬を得たとしても、それは本人の努力というわけではなく周りの環境に依存するというものだ。どうやら、長男/長女は次男/次女よりも努力をするという傾向があるらしい。因果性や科学からは到底離れたアンケートではあるが、マイケル・サンデル教授がハーバード大学(当然超一流の大学ですよ)で挙手制のアンケートをし、自分が長子であるものは手を挙げよとしたところ、約75~80%が挙げたそうだ。

この話については自分自身にとっても興味深い話であり、なおかつ身に覚えがあるものだった。

アリストテレス

正義は目的/名誉にかかわり、それは何のために行われる、存在するものなのか(目的因)。目的因から外れるものは正義ではない。

マッキンタイア

これはリバタリアニズムに対する反論でもあるが、個人主義とは相容れないというもので、マッキンタイアによれば「人は物語る存在」である。今の自分を形成するものは生まれた国であり、その歴史であり、両親であり、環境であるために個人主義というものは正義ではないということだ。

国に対する忠誠心=愛国心を持つ/持たざるというのは、まさにそれを示しており、わざわざ契約をせずとも「そこに生まれた」というのは忠誠心、愛国心を持つにふさわしい。

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同性婚についても触れている。(マサチューセッツ州裁判長・マーガレットマーシャル)個人主義/自由主義であれば、「望んだ人と結婚することが正しい」となるが、これは一夫多妻/一妻多夫をも認めることになるし、目的論的に考えれば「生殖行為」が結婚の目的と考えられることにもなる。同性婚の否定派の根源にあるのは後者だ。結婚とは独占的愛情関係であり、そしてそれに賛同する国家がいてこそだとしている。

婚姻というものが完全に私的なものになってさえしまえば、同性婚であり、事実婚であり、全てが良しとされるが、一方でそれに対する公的な処遇はどうなされるのか、ということもある。

 

2022年、現時点では上記の哲学者が生きた時代よりもより一層多様な世の中となってきている。特に婚姻や、自由のあり方ということについては10年前とは大きな違いがあると思う。(この本が出版されたのは約10年前だ)

今こそ哲学を学び、深く考える必要がある。正義とは何か?正しさとは?ぜひ一度は考えたい。そのきっかけとなる本だった。

 

 

信頼の原則

仕事における人間関係において「信頼」は非常に重要な要素であり、特に上司・部下の関係で自分が上司の立場となればより一層重要度が増す。部下に仕事の指示をする場合、少なからず信頼をしなければならないからだ。危うくもあり、強固なものである「信頼」がどういうものなのかを例を交えて解説している。

通して読んでみて、序盤(P.25)に解説された3つの条件というものが全てだと感じた。

  1. 人格
    人格とは、信頼する相手があなたの利益を自分のことのように大切にしてくれること。

  2. 能力
    能力とは、信頼する相手があなたの利益を最大限に実現するための知性・能力・教育を身に着けていること。

  3. 権限
    権限とは、信頼する相手が約束を守れるだけの権限を委譲されていること。

この3つの条件どれか1つでも欠けていれば信頼をしてはいけない。思い返してみると、「裏切られた」だとか、「期待外れだった」と感じる人間は確かにこの3つの内どれかが欠けている。

自分が部下の立場である場合、自分の利益=給料もしくはキャリアそのものであるが、昇給させる努力もせず、権限もなく、ましてはキャリアの提示も出来ない人間が上司についた場合は大変なことになってしまう。(2、3が無い)

非常に有能とされている上司が就いた場合でも、その上司が保身に走ってしまえば立場が危うくなることもあるだろう(1が無い)。

 

また、自らがリーダーである時に心がけることについても触れられている。これは管理職研修であったり、世の中で多く語られている要素だらけであった為、今更振り返ってどうこうということは無かった。既に心構えとしても、行動としても実行できている内容が殆どだった。例えば以下のようなものである。

  • 言動を一致させる
  • 目標を示し、浸透させる
  • 事実を伝える
  • 謙虚さを忘れない
  • 交渉とはギヴ・アンド・テイクである

先日読んだ「失敗の本質」でも近しいことが語られており、かつ深いためにここでは割愛する。

 

唯一、「これは」と思ったのはコミュニケーションの重要性について語られている箇所(P104~)で、情報に関してチームを信頼するということだった。つまり、「情報の公開」をしないことに信頼を得られないということで、これは確かにその通りだと感じる。

肩書を背負って中途入社してくる人間がいるとする。その人間は、やれ「大企業で部長をやっていた人だ」だの、「業界では有名な人間だ」だのと語られる。蓋を開けてみれば何をやっているか分からず、結果もでず(見えず)、気付けば組織内に悪影響だけ残して去っている。この背景には、周囲から疑いの目で見られて協力体制を構築できず、持っている能力(無いかもしれないが)を発揮できないということがあった。このような話は大なり小なり多くの企業で起こっていることだと思う。

この彼/彼女が今自分が置かれている状況がどのようなもので、何をしているのかを透明性を念頭に発信することを心がけていれば、よほど酷い組織でない限り、周りはきっと助けてくれるはずだ。

信頼は引き継ぐ事ができない。組織が変われば必ずリセットされ、ゼロからスタートする。能力は引き継ぐことが出来るのだから、自分は「人格も能力もある」ということをアピールし、早期に権限を委譲してもらえるように立ち回り、信頼に足る人間だということを周囲にわかってもらう必要がある。今後、自分が所属する組織が変わった際にはこの点を十分に理解し、行動に移していきたい。

 

 

失敗の本質 日本軍の組織論的研究

大東亜戦争における日本軍の失敗について、題の通り「組織論」的に突き詰めていった本。

前提として必要とされる知識が多い為に少々読みづらく、この本を簡略化した解説本的なものも多く出版されているほど。その読みづらいとされている箇所は本の6割を占める第一章の各ケース解説で、そこは飛ばし飛ばしでも問題にはならない。

重要なのは第二章からの失敗の本質及びその分析である。取り立てて重要である(個人的に)と感じた箇所について記載していきたい。

  • P268 2章 失敗の本質 - あいまいな戦略目的
    何から何までがあいまいな目的設定でないものの、組織間の認識ズレや、誰かを慮るという複数要素から徐々に目的があいまい(棘のない)となり、「察するべき」部分が拡大していった。

    特にミッドウェー作戦の作戦目的が「ミッドウェー島を攻略し、~、攻略時出現することあるべき敵艦隊を撃滅するにあり」と目的が二重になってしまっていることが重大に思える。

  • P308 2章 失敗の本質 - 人的ネットワーク偏重の組織構造
    官僚制度の中に情緒性を組み入れてしまったがために、組織間でメンツを立てるような行為が散見され、更にはメンツを立ててもらった人間による個人的事由の為に本来持ちうる権限を飛び越えた作戦を実行し、損害が広がっていた。

  • P325 2章 失敗の本質 - 学習を軽視した組織
    作戦失敗における反省を活かすことがなく、「敗戦が分かりきっていることを分析することは死人に鞭を打つようなものだから」と、ここでも人的ネットワークの配慮が優先されている。更には成功体験が厄介なものとなっており、その成功は偶然(対外的なものから)だったにも関わらずなぜ成功したのかを論理立てて分析しなかった為に足かせとなっていた。

プロセスや動機を重視した評価という箇所についても重要ではあったが上記の3つに共通する内容で、結果よりも人的ネットワークであったり精神論的なものが優先された評価になったために失敗している。「官僚制度の中に情緒性を組み入れた」というのが全てである。

 

筆者のあとがきも含め、読了後は天を仰いでしまった。公的機関、民間機関問わず日本の組織は日本軍の失敗を繰り返しているように感じる。

リーダーシップの弱さや、人的ネットワークの配慮から来る目的設定の曖昧さや二重目的というのは今でもある。第一章で記載されていた米軍との比較でも「目的設定が細部にまで行き渡っていない」ということがあった。細部まで行き渡ることで不測の事態が起きてもそれぞれが自走するために目標を達成できるというものだが、直近で起きているようなKDDIの通信障害、みずほ銀行のシステムトラブルを始め、事件事故の対応遅れというのはこれに尽きると感じる。勿論私が所属する企業でも同様の問題は起きている。私の組織では幸いにも頭から足先まで同じ目標に向けて走ることができた為に上手く行っていたが、今回この本を読んで「なぜ上手く行ったのか」という答え合わせが出来た。

そして、過去失敗したプロジェクトを思い返すと、全てこの日本軍の失敗に共通する箇所がある。多くの戦死者が出た大東亜戦争から日本人は学びを得ておらず、更には何も変わってないということを痛感した。何とも情けない話である。