読書感想文

時は来た。それだけだ。

晩年に想う

アルバート・アインシュタインが1934~1950年に発表した諸著作をまとめたもので、現在では手に入れるのが難しい。こういう時の図書館ということで借りてきて一通り読んでみた。かなり回りくどい記述や、当時の訳文が読みづらいこともあり、当然ながら全てを理解できているわけでは無い。

科学と宗教

宗教なき科学はびっこであり、科学なき宗教はめくらだ、と示している通りでアインシュタインは科学と宗教を分離したものとは捉えていなかった。科学的に説明がつくものは科学を使うべきで、そうではないもの(関連する因子が多く偶発的としか捉えられないようなもの)は宗教として扱われるのが良いとしている。一方で、人格神は認めていなかった。人格神とはキリスト教の神ヤハウェや、イスラム教の神アッラーが典型とのことだが、あまり理解が出来なかった。これについては別途宗教について学習する必要があると感じる。

社会主義と世界政府

アインシュタイン社会主義を推進していた。完全な意味で成立しているのであれば社会主義は理想的なものというのは一般的にも知られているところだが、そのようなものは成立し得ないというのも同じく知られている。理想主義者であるように感じる。また、独立した国家が力を持つということを認めず、世界政府(国連が近しい存在だろう)を作ることが平和に繋がると信じていた。世界政府というのは当時の米国、英国、ソ連を想定した強国は勿論、世界各国の武力や経済を集合させることで抑止力となるべき存在だ。これを取ってみても明確な理想主義者であることは否定できない。性善説そのものである。

原子力戦と平和、そして民族浄化

まずアインシュタインユダヤ人である。ユダヤ人はナチスによって民族浄化されたというのは知られているところだ。ユダヤ人に対する差別(こんな生易しい表現で良いのだろうか)を受け、アインシュタインは恨み辛みをひたすら書き残している。その中で研究し、生まれた原子力は当時の米国大統領ルーズベルトに署名を迫り、兵器化した。勿論ナチスを滅ぼす為だった。そのはずの兵器がまさか日本に投下されるとはアインシュタインは思っても見なかっただろうが、原爆投下後に彼は「私は悪くない」の一点張りとなってしまった。兵器を生み出した科学者に非はなく、使い道を誤った政府こそが悪である、つまりここから社会主義や世界政府というような思想に傾倒していくわけだが、元々はナチスに対する多大な恨みから生まれたものだ。アインシュタインアルフレッド・ノーベルにも触れ(ダイナマイトを生み出した)、人を大量に殺す一端を担ったからこその罪滅ぼしとしての平和的活動をしていた。

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読み進めていき、アインシュタインがこうまで利己的な考えの人間だとは思ってもいなかったが、明らかに1945年以前と以降では内容が異なる。特に原爆投下年の1945年の著作については相当に動揺しており、良心の呵責というべきか、どうやって折り合いをつけるべきか迷いに迷っているのが読み取れた。人類の大半が滅んでも積み上げた知識が全て失われることはないというような表現がある一方で、その数年後の著作では人類が滅ぶということに対して否定的だからこそ社会主義を唱えているところもある。

この本では触れられていなかったが、日本人科学者や広島の平和活動家と面会した際には涙ながらに謝罪をしていたとも言われている。アメリカ人記者が広島について制作したルポタージュを大量に購入して配っていたということからも、やはり1945年というのが彼にとっての大きな分岐点だったのだろう。

しかしどうにも気になるのはインターネット上の記事では「アインシュタインは原爆製造と関連性は非常に薄い」というような記述だった。もしかしたらそうなのかもしれないが、本人はそのように思っていないだろう。その後の行動を見れば明らかなはずだ。